粗にして野だが卑でない
城山三郎著、国鉄総裁、石田禮助氏の生涯を描いた小説のタイトル名である。
今年起きた数々の偽装事件は、この「卑」が生んだものではないかと思う。卑を辞書で引くと「いやしい」、「卑劣」「卑屈」「卑俗」「卑怯」とある。
社会的地位が高くても「卑」を感じさせるさせる人物がいる。
大金持ちでも「卑」の人間はたくさんいる。また社会的地位が低く、貧乏でも「卑」の人間はいる。この「卑」というものはどの人間にも内在しているものと思う。「卑」を押さえ込むのは並大抵のことではない。(我々凡人は・・・)「自分さえよければ」「これぐらいの嘘ついても儲けのためなら」「人の足を引っ張ったり」「失敗を誰かのせいににする」「誰も見ていないからいいだろう」
等々・・・日々「卑」の誘惑は我々を襲ってくる。
話はごろっと変わりますが、NHK朝ドラの「ちりとてちん」に私は今はまっています。見ていて面白いし、今の日本が忘れかけている人情、ひたむきさ、鷹揚さ、優しさ、厳しさがあるからだと思う。そして 何より「卑」がない。
今、放映されているワイドショー、バラェティーなど多くの「卑」だらけの番組が氾濫している。現在の子供達に悪影響を与えていると思う。視聴率のためならと嘘をつく番組も多々ある。これらを追求するは ずの報道番組にも嘘が発覚して呆れるばかりである。
人生はよく出来たものだと思う。「卑」の人生を送っている人でいい最期を終えたのは少ない、もしくは皆無かも知れない。たとえ大金持ち、社会的地位のある人でも。会社も同じである、「卑」の経営を続けていると、一時的に多大な利益を上げても、いずれは破綻している。「卑」でない生き方、「卑」でない経営を行うことは苦しい事、損をしている時もあるかも知れない。しかし、神様は必ず見ていて、いつかはご褒美をくださるものである。
とかく、人間は「卑」の誘惑に負けやすいものである。私自身、日々「卑」の誘惑と戦って負けそうになる時が多々ある。私の場合、粗にして野であるが卑もまだいっぱいある。2008年は粗にして野だが卑でない生き方を目指して頑張って行きたいと心に誓っている。(出来るかな?)
独り言の好きな男より