我々は人間はみんなラッキー!
私達は日常の生活の中で、運が悪いな、ついていないなと思うことが沢山あると思います。しかし、しかしですぞ、人間(今の自分)に生まれることは宝くじで1等賞を10万回連続して当たるぐらい奇跡的な確率だと大阪大学の教授の弁が新聞に掲載されていました。(教授の名前は忘れました。)
父親の数億個もしくは数十億個(数もはっきり覚えていません。すみません。)の雄しべが母親の雌しべに結合して生まれるのはたった1人である。(まれに双子などもあるが)一番最初に、雌しべにたどり着いたわけである。
もし、他の雄しべが先にたどり着いていたら、顔はよく似ていても、今の自分の魂とは別の人間である。双子が顔がそっくりでもお互い別の人格であるように!我々は熾烈な競争に勝利してこの世に現れたのである。(超ラッキー)
だから、生まれながらにして人間はみんなラッキーなのである。
しかし、世間で言う「ついている人」「ついていない人」の区別はどうして生じるのであろう?
私の考えるところ思考の違いだと思っている。
例えば、道端で転んで顔面を擦りむいた。「ちぇ、ついていない」と思うか「これぐらいの怪我で済んで良かった」と思うか、同じ現象でも大きな違いである。
例えば2 何をしても全く駄目な悪妻だった場合「もう最低、俺の人生おしまい」と思うか「こんな嫁のお陰で俺は本当に忍耐強くなった」と思うか(たいがい無理なこじつけ)
要は、常にプラス思考なることだと思う。たとえ、どんなこじつけでも!この習慣を身に付けている人間が世間では「ついている人」だと評価されるのだと思う。
松下電器、創業者の松下幸之助さんが知人に高学歴で優秀な人物を紹介された。
しかし、不採用である。理由は、その人物が「私は今までついていなかった」的なことを発言したことである。
ついていないと思えば一生つかない人生で終わり、ついていないような状況でも、ついていると思い続ければ、いつかはついてる人生になっていると思う。
私もゴルフに行く朝、雨でも「ついてへんわ!」と考えず、「琵琶湖の水位が上がるわ良かった」と、こじつけでも考えるようにします。
独り言の好きな男より