キャプテンコラムCAPTAIN COLUMN

株式会社キャプテン・ユーの社長が
日常生活で感じたことを綴ります。

ゲームの功罪

先日、妻と一泊の小旅行に行った時のことである。夕飯はバイキング形式でホテル側指定の席で食事をした。私たち斜め前の席は娘さん2人の4人家族連れであった。驚いたのは食事中、娘2人がスマホでゲームを始め、食事の終盤になりかけた時には食事そっちのけで両親達もゲームを始めだした。家族全員がゲームに熱中である。(たぶんゲームだと思う)もちろん会話は皆無である。昭和世代の我々は、食事ぐらい楽しい会話をしながらすればいいのにと思ってしまう。しかし、この現象は特別奇異なことでもないようだ。以前にも焼肉屋で父親と息子2人が食事していた。3人で会話しているところはほとんど見られなかった。息子2人は食事中にも関わらずゲームに没頭し、父親のせっせと肉を焼いている様は異様な感じだと思った。

 昭和世代の私は10歳の時にテレビが家に入るまでは、どんな会話していたか全く覚えていないが、おそらく何か会話しながら食事していたのだと思う。テレビが一般家庭に完全普及した時には、食事中テレビに熱中してしまい会話が少なくなっていることが社会現象として問題になったこともあった。それでも、今のデジタルゲームと比べたら会話量は圧倒的に多かった。

 子供、大人を夢中にさせるゲームと言うものは本当に凄いなと思う。私が子供のころ、任天堂は花札とトランプを販売していた普通の会社であった。確か1983年にファミリーコンピュータを世に出してから一気に急成長し、超優良企業となった。後発のSONYもプレステの販売で今や会社の収益の要となっている。ソフト提供企業も軒並み成長している。消費者ニーズを掴んだものが大ヒット商品を生み出すのはどの分野でも同じだが、デジタルゲームはスマホの普及とゲームソフトの開発により、世界中の人々を熱中させるNO.1アイテムだと思う。メタバースとのコラボレーションなどで、これからどこまで進化するのか怖いぐらいである。小中学生のゲーム開発者誕生も珍しくなくなることだろう。今や一大市場規模を築いている。この傾向はまだまだ続くだろう。

 世の中がアナログからデジタルに移行するのは自然の流れだし、またそうならなければならない。しかし、その副作用としてコミュニケーション力の劣化が心配である。仕事においてもメールは大変便利だが、直接相手と会話する機会極端に減少しているように感じる。やはり古臭いと思われるが、直接相手と会話することも大切だし、喜怒哀楽、人情の機微などはデジタルでは図り難いと思う。食事の時ぐらいゲームはしない方がいいと思う。デジタル化が進む時代だからこそ、人間対人間の直接会話の機会を持つことも大切なことだと思う。心はアナログ、仕事はデジタルと使い分ける必要があると考えるのは、昭和世代の私だけだろうか?

 

 

独り言の好きな男より